本文へスキップ

電力ねぶたの歴史をたどります。

各年のねぶたはこちらからご覧ください。

出陣の足跡

昔々の電力ねぶたdish


昔々の電力ねぶた
昭和34年夏出陣の『茨木(渡辺綱鬼退治)』北川啓三 作
(画像をクリックすると拡大します。)


 この写真は支店前のねぶた小屋の前で撮影したものです。石森橋側から合浦公園に向かって撮影したもので、西日に照らされてとても明るく写っています。(初代青森通信所長:小山幹一郎さん提供)
 当時、ねぶたの照明は大型トラック用のバッテリーを何個も使い、裸電球を灯していました。夜9時、ねぶたの曳行が終わるころにはバッテリーの蓄電量はほぼ無くなり、暗闇の中を灯の消えたねぶたを支店前の小屋まで曳航班に曳かれながら戻っていました。
 大量に積み込まれたバッテリー(鉛蓄電池)はとても重くて往復の石森橋(太鼓橋)を越えるにはとても難儀しました。特に帰りの曳き手は人数が減り、仕事や当直で残っている人たちに非常呼集を掛けてやっとの思いで橋を乗り越えたものでした。この状態は1984年(s59)の復活ねぶた以降も全く変わりませんでした。
 ねぶたが戻ってからのバッテリー充電作業は通信所員が分担し、支店裏にあった通信所機械室まで運び、徹夜の充電作業となりました。この作業は通信所員が毎晩交代で行っていました。
 間もなく蛍光灯が実用化され、1955年(s30)頃からは100Vでも使えるようになり、一般家庭にも普及し始めます。「ねぶた誌」によると、ねぶたの照明に蛍光灯を採用したのは「電力ねぶた」だったとの記述があり、北川金三郎翁の時代に初めて導入された様で当時としては画期的な技術でした。
 蛍光灯の導入により、ねぶたの照明は格段に明るくなり、観衆を驚かせたという逸話も残っています。 しかし、蛍光灯を灯すためにはバッテリーの直流ではダメであり、ここでも通信所員のアイディアが生かされることとなります。

 可能にした技術は?⇒通信所が保有していた特殊な小型発電機MG(motor to generator)でした。MGは今でいうDC/ACコンバーター、直流モーターで発電機を回し交流100Vを得るという通信機用の小型の発電機でした。特殊な小型発電機ですが、あちこちの通信機械室に設置され、通信機器や電話交換機の電源として用いられていました。
 そんなアイディアを思い付いたのは、ねぶた大好きな通信屋(電話職人)だったことは間違いありません。近年は低騒音の交流発電機や省電力で環境に配慮したLED照明への移行が進んでおりますが、「ロウソク~裸電球~蛍光灯~LED」へ灯りの移り変わり「灯篭の歴史」を振り返ることも忘れてはいけません。


初陣(1935年)から復活後(1991年)まで続いた「石森橋越え」の難儀ルート
(画像をクリックすると拡大します。)


【初陣は1935年(s10)】
 私の調査では、1935年(s10)が1年賞、1935年(s11)が2年賞の様ですが、この2年間の記録が何も残されていません。後の大戦(青森大空襲)により全てが消失されたのかもしれません、、。
 年代から推測すると「青森県営電気局」が発足(1934)した翌年夏が初陣(第1回)で、1935年から現在の青森支店の場所(港町)から出陣していたようです。
 現住所は青森市港町2丁目ですが、私が入社した1967年(s42)頃は別名「大坂町」と呼ばれており、港町界隈のかなり広い範囲に及んでいました。その当時、青森町の大資本家であった⇒青森県営電気局の初代社長:大坂金助氏の所有地で有ったと聞いたことがありました。
※注記⇒詳細については、こちらの Page「青森県営電気局」を参照ください

1968年(s43)夏の『ねぶた祭ポスター』に採用
(画像をクリックすると拡大します。)

 昭和42年(1967)夏に出陣した電力ねぶたは『岩見重太郎狒狒(しし)退治』山内岩蔵作で、『市長賞』を受賞し、翌年、昭和43年(1968)夏の『ねぶた祭りのポスター』(上の写真)採用されました。
 ちょうど、私が新入社員として八戸市内の事業所に配属された年の出陣ねぶたでした。たまたま寮で同室だった先輩の実家が青森市でしたので、誘われるがままに初めてねぶた祭りに参加させて貰うこととなりました。
 青森市の実家は、ねぶた祭りに参加するために帰省している兄妹の皆さんで大変賑やかな状況でしたが、混み合う家族の皆さんの中に割り込み、衣装の準備・着付けをして貰った上に、お祭りから戻った深夜には、お酒・お料理を御馳走になり満腹就寝。
 結果的に2晩もお世話になりました。ほんとうに有難うございました、、m(_ _)m








『ねぶた祭ポスター』の部分拡大
(画像をクリックすると拡大します。)

ポスターの中ほどに、どこかでお会いした顔、見覚えのある顔が写っています。私も一緒の職場(送電)でしたので、とても懐かしい記念写真となりました。

1967年(s42)夏 ねぶたの運航風景
(画像をクリックすると拡大します。)

このねぶたは『市長賞』を受賞しました。

(画像をクリックすると拡大します。)

(昭和25年)

(昭和29年)

(昭和30年)

(昭和31年)

(昭和32年)

(昭和33年)

(昭和34年part-1)

(昭和34年part-2)

(昭和35年)

(昭和38年)

(昭和40年)

(昭和42年part-1)

(昭和42年part-2)

(昭和42年part-3)

(昭和43年)

(昭和45年)

(昭和47年)


トップ アイコントップページへ戻る次へ