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電力ねぶたの歴史をたどります。
電力ねぶたの軌跡
各年のねぶたはこちらからご覧ください。
出陣の足跡
平成3年 川中島の合戦/商工会議所会頭賞
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ねぶた絵図『川中島の合戦』
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平成3年制作『川中島の合戦』
北越の雄上杉謙信,甲州信濃を統一した武田信玄の両雄,興亡を賭(と)して戦いを交えることすでに三たび。最後の決戦に臨むべく,永禄四年(1561)九月十日の朝を迎えた。
深くたちこめる朝もやを切り裂いて丈だ陣営に殺到する越軍,天地を圧する雄叫び,陣太鼓,揺れ動く甲州軍旗「疾(はや)きこと風の如く,徐(しづか)なること林の如く,侵掠火の如く,動かざること山の如し」と染め抜かれた文字が躍る。
総勢三万余騎,血で血を洗う一大激戦が繰り広げられた。世にこれを川中島の合戦という。この合戦で謙信は単騎敵本陣を襲い,信玄に三太刀斬りつけたという。
この一騎打ちの場面を再現したものです。
ねぶた師 穐元和生(あきもとわしょう)作
運行風景
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前ねぶたの運行
囃子部の活躍
記念撮影 商工会議所会頭賞受賞
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電力支店前(港町)のねぶた小屋にて
この年までのねぶた移動ルート
(翌年からアスパム脇のねぶた団地に引越し)
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【行きは良いよい、帰りは怖い (^_^;)
】
ねぶた小屋が港町の支店前にあった時代は町中の「お祭り会場」に向かうのが一苦労でした。太鼓橋構造の「石森橋」の急坂を越えるのがとても大変でした。行きは大勢の跳ね人も一緒の移動なので曳き手人数には何の問題も無い訳ですが、帰りの「石森橋越え」にはさすがに難儀させられました。
灯りの消えた帰りのねぶたはとても重く感じ、さらには跳ね人仲間はどこかに消え去り、残されし曳き手役の人数だけでは力不足の緊急事態発生、ついには橋を越えることが出来ず後ずさり状態。仕事や当直で残っている人たちに非常呼集を掛けてやっとの思いで橋を乗り越えたものでした。この状態は1984年(s59)の復活ねぶた以降も全く変わりませんでした。
そして、この年を最後に翌年1992年(h4)からはアスパム脇のねぶた団地に引っ越すことが決まり、長年の悩み「石森橋越え」の難所から解放されることとなりました。
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