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電力ねぶたの歴史をたどります。
電力ねぶたの軌跡
各年のねぶたはこちらからご覧ください。
出陣の足跡
昔の下絵とねぶた
碇知盛
(いかりとももり) (義経千本桜より)
昭和35年製作の電力ねぶた『碇知盛』
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壇ノ浦の合戦で功を立てるも、兄頼朝に追われる身となった義経は摂津の国、大物の浦から船で九州へ向かう。そこへ壇ノ浦で死んだはずの平知盛率いる平家軍が現れ海上での戦となるのだが、知盛軍は敗れてしまう。
平家一門は、父清盛の悪業の報いのため滅亡する運命にあったのだと知盛は悟る。そして碇綱を身に巻きつけて大岩の上に立ち、碇を海に投げ込み、その重みに引かれて海の底へと落ちてゆく。(義経千本桜より)
ねぶた師 北川啓三 作
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源頼光
(みなもとのらいこう)
と
坂田公時
(さかたのきんとき)
昭和43年製作の電力ねぶた『源頼光・坂田公時』
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今からおおよそ千年ほど昔,平安のみ世に,知勇兼備の誉れも高い頼光という源家の大将がおりました。
天延四年三月。頼光が相模国足柄山(さがみのくにあしがらやま)にさしかかった時「四方常に大雲あり,五色具って而も雨降らず,其の下には必ず賢人の隠家(かくれが)ありと伝へり。今彼処(かしこ)に雲気有るは一定人傑のかくれおるなるべし」と云うことで山中に分け入り発見した怪童が,ご存知金太郎だったのです。
ねぶたは,山伏(やまぶし)姿の頼光と金太郎の力試しの場面です。勝負は引分けに終りましたが,頼光はひどく金太郎が気に入り,ここで主従の約盟を結び,「誠に公(おおやけ)につかえまつるに時を得たれば,其の名を坂田公時と名乗るべし」と名前を賜りました。
世に有名な頼光の四天王,渡辺綱(わたなべのつな),ト部季武(うらべのすえたけ),碓井貞光(うすいのさだみつ),坂田公時(さかたのきんとき)がここで勢ぞろいしたのです。後に大江山に住む酒呑童子(しゅてんどうじ)という悪い鬼を退治し勇名をはせたお話はさらに有名です。 ねぶた師 山内岩蔵 作
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坂田公時と酒呑童子の決斗
昭和45年製作電力ねぶた『坂田公時と酒呑童子の決斗 』
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「大江山の鬼退治」についてはすでにご存知のことと存じますが,簡単にご紹介いたします。今から,おおよそ千年ほどむかし平安のみ世に近郷近在(きんごうきんざい)はもちろん遠くは京の都まで手を伸ばし財宝や婦女をさらっていた鬼があって,其の名を酒呑童子(しゅてんどうじ)と言いました。
丹後(たんご),丹波(たんば)の国ざかい(いまの京都府と兵庫県の県境の近辺)大江山の奥深い岩窟に,多くの手下どもと住んで,文字どおり神出鬼没,変幻自在に悪事を重ねていました。
このような行状に,きこえ高い時の武将,源頼光(みなもとのらいこう)に討伐の勅命がおりました。
頼光は,坂田公時(さかたのきんとき),渡辺綱(わたなべのつな),ト部季武(うらべのすえたけ),碓井貞光(うすいのさだみつ),ら智能武芸にひいでた四天王をひきいて,山伏姿に身を替え,武具(ぶぐ)を秘めて,酒呑童子の拠城(きょじょう)大江山にむかったという,伝説物語から取材した物であります。
「ねぶた」は逃げ惑う酒呑童子を公時が捕らえた場面です。源頼光が駆けつけ首をハネたところ,首は頼光のカブトに噛みついたともいい,また天高く飛び去ったとも云われ,酒呑童子は妖魔であったのか,鬼であったのか,いまでは知るよしもありません。 ねぶた師 山内岩蔵 作
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