本文へスキップ

電力ねぶたの歴史をたどります。

各年のねぶたはこちらからご覧ください。

出陣の足跡

Profiledish


【BGM】BGMが流れますので音量にご注意ください。




【Profile】
青森県の南部地方生まれの団塊世代、気が付いたらいつのまにか南部衆が津軽衆になっていました。
電力会社の送電線保守現場に入社しましたが、使い物にならず通信部門の職場に転職することに。
転職がまさしく天職となり、大好きな通信関係の仕事に永年携わることが出来ました。
有線通信(銅線/光ファイバ)〜無線通信(UVHF/マイクロ)の仕事は趣味にも通じ楽しい毎日でした。
おかげ様で、青森市を拠点に県内の営業所・発変電所のほか、山奥のダム、無線中継所など隅々まで探訪。

県外転出後〜二度の青森転入を経て三度の勤務、通算25年の津軽生活で「青森ねぶた」をどっぷり満喫。
そして1983(s58)年の復活ねぶた「天女祝舞」に関わり、以降「電力ねぶた史」編纂を継続しています。
現在、仙台市から「電力ねぶたの軌跡」のweb投稿やDVD+記念誌の制作を試みています。
私の趣味はアマ無線、
「ラジオ少年の夢」を追いながら遊んでいます。v(^_^)v

(懐かしのスライドショーが流れます。)

 私が初めて『青森ねぶた』を見たのは1967(s42)年の夏、4月に新入社員として八戸市内の職場に配属されて数か月後(まだ18歳)でした。
 ねぶた当日は(日にちは失念)雲一つない快晴、ものすごく暑い熱帯夜だったとの記憶が蘇ります。
 その後、1969(s44)年2月に青森市の職場に転勤となり、その年のねぶた祭からは、寮母さんに浴衣を仕立てて頂きながら、毎年跳人として参加することとなりました。そして、南部生まれの津軽衆となりました。
 ところがその後オイルショックが起こり、1973(s46)年〜1983(s58)年の間、11年もの長きに亘り電力ねぶたは出陣を見合わせることとなります。
 そして、1983(s58)年、当時の電労県支部のS委員長を中心に、ねぶた好きの仲間が結集し、「東北電力ねぶた愛好会」の組織を立上げることとなりました。
 その時に私も深くかかわる事となり、資金集め活動・カンパ集めメンバーとして手伝うこととなりました。
 そして、翌年1984(s59)年夏、電力ねぶたは復活を遂げます。今でも復活ねぶた「天女祝舞」の出陣式の情景が脳裏に焼き付いています。
 そんな事に関わった私(編者)の思いもあり、以後〜現在まで、素人カメラマンの写真撮影、「電力ねぶた」にかかる種々の資料収集など、これからも続けていきたいと思っています。


トップ アイコントップページへ戻る