


記者⇒東北電力の青森ねぶた祭への出陣は今年で50回目を迎える。11年の活動休止を経て84年に「東北電力ねぶた愛好会」として復活しているが、活動休止から再会に至る経緯は。
須藤さん⇒ねぶたを愛する社員が中心となり出していたが、オイルショックの影響で会社は資金の拠出が難しくなり、73年から出陣を控えるようになった。
記者⇒ねぶたを復活させるためには資金やねぶた師の確保など苦労した点が多くあったのでは。
須藤さん⇒当時のねぶた制作費は1千万円超。まずは会員に衣装代を含む会費を募った。関係企業や取引先、地元商店などからも協賛金を募集。青森勤務経験者からも広く資金を集めた。その結果、ねぶた制作費に必要な資金を集めることができた。
記者⇒電力ねぶた復活の反響は。
須藤さん⇒「天女祝舞」による電力ねぶたの復活は、地元に歓迎され評判を呼んだ。衣装やマナーを守った運行が評価され。その年に設立された運行賞を受賞。翌年も連続で同賞を受賞し、ねぶた祭が大型化・観光化する中でマナーや統制のあり方良い影響を与えることが出来た。90年には穐元和生作「風雲児信長」で田村麿賞(現在のねぶた大賞)を受賞した。
記者⇒出陣50回目にあたって会員にメッセージを。
須藤さん⇒電力小売り自由化という本格的な競争の時代を迎えたいま、東北電力はより地域に溶け込み、存在感を示すことが大事。青森ねぶた祭の県内外に広く伝えてほしい。




