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電力ねぶたの歴史をたどります。

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出陣の足跡

令和7年 鬼五郎・幡五郎 鬼面太鼓に祈るsh


令和7年 鬼五郎・幡五郎 鬼面太鼓に祈る
ねぶた絵図
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令和7年制作 『鬼五郎・幡五郎 鬼面太鼓に祈る』
 平安時代、早稲川(わせがわ)の里に里の長である鬼五郎(おにごろう)と弟の幡五郎(はたごろう)の兄弟が住んでいた。
 二人は力を合せ、先祖から受け継がれてきたふるさとの田畑を守り、豊かにしようと人々の先頭に立って働いていた。
 このころ蝦夷討伐がはじまり、陸奥の反乱などを鎮めて安定を取り戻そうとした政府軍を率いる坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)がこの地にも攻め入ってきた。
 これに激しく立ち向かったのが、阿武隈山系で力をふるっていた大多鬼丸(おおたきまる)である。
 大多鬼丸の部下であった鬼五郎は優れた武術を発揮して政府軍を迎え撃った。激しく長い戦いの中で力を奮っていた大多鬼丸軍は、やがて負けを覚悟するようになり仙台平まで追い込まれた。
 「お前は生き延びて立派に守ってくれ。わしは死んでも鬼となってこの地を見守る。」と、鬼五郎は弟に言い残し亡くなった。
 愛するふる里のために勇敢に戦い抜いた鬼五郎と、兄の残した気持ちを受け継いで豊かな早稲川の里づくりに励んだ弟の幡五郎であった。ふる里を愛した兄弟の想いは今も人々の心の中に生き続けている。
 ねぶた師 立田 龍宝 作


運行風景(真正面から)
(お祭り本番までの仮置き写真⇒昭和42年頃の青森支店)





運行風景(送り)
(お祭り本番までの仮置き写真)





前ねぶたの運行
(お祭り本番までの仮置き写真)





ねぶたに参加の皆さん
(お祭り本番までの仮置き写真)





囃子方「電囃会」の皆さん
(お祭り本番までの仮置き写真)






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