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電力ねぶたの歴史をたどります。
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出陣の足跡
合浦公園は私の通勤路
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合浦公園は,全国的にも珍しい「海浜公園」である。春5月の花見,夏は海水浴,冬は雪祭りと市民にとってもっとも身近な憩い,運動,娯楽の場として楽しまれている。
公園は藩政当時「お成り街道」で,廃藩後,現在の国道が開かれるまでは,浅虫方面へ通ずる要路であった。
着工されたのは,明治15年(1882),弘前藩のお抱え庭園師,柿崎朝次郎の長男衛作の提唱によって行われた。衛作は幼少の頃から築庭の技に秀で家業を継ぐため修業した。また,戊辰戦争に参加。さらに明治7年(1874)再び渡道,外国人から庭石園法を学び,合浦公園創設への意欲・基礎を培った。
県令山田秀典や木村荘助,三橋三吾等の協力を得て,公園築造工事を「浪打五本松」を中心に,母,妻と園地の小屋へ移り,私財を投じ寝食を忘れて励んだため過労で倒れ,その完成を見ることなく明治18年(1885)無念の生涯を閉じた。
その後,弟の巳十郎が母の願いによって偉業を継いだ。艱難辛苦の末,明治27年(1894)一応整ったため,同年8月後継者と相談の上,青森町に公園の一切を寄付した。その後,大正14年(1925),退職するまで園丁として30余年間,合浦公園とともに歩んだ。
その後,公園は,招魂祭,市内各学校の運動会,消防団の観閲式等広く市民に利用された。
戦後,進駐軍に一部接収されたり,競輪場が一時期設置されたりしたが,「白砂青松」と表現された海岸風景は,年々帰ってきている。
なお,歌碑や頌徳碑,胸像等が老樹をバックに数多く建立されているのも,合浦公園なの特色の一つである。
昭和25年6月28日に青森市営球場において,第2試合の巨人対西日本戦で巨人の藤本英雄投手が日本プロ野球史上初の完全試合を達成した。
岩手・一ノ関から始まる・東北・北海道の遠征は,松竹,広島,西日本,巨人の4チームが1日ごとに組合せを変えてのダブルヘッダーで行われた。
この年はセ・パ2リーグ制になった年でもある。
★試合経過
セ・リーグ
●青森(10回戦 巨人8勝2敗)
西日本 000 000 000|0
巨 人 000 110 02A|4
・試合開始 午後4時14分 内野フライ 3 外野フライ 6
・試合終了 午後5時33分 内野ゴロ 11 三振 7
・試合時間 1時間19分
【C11型167号機関車の沿革】
この型式の蒸気機関車は,3動輪をもつタンク機関車で昭和7年に第1号車が誕生しました。
その後全国で381両が製造され,その内の167番目の機関車であります。昭和15年10月16日汽車会社で製造され大湊機関区に配属となり、昭和49年7月廃車になるまでに野辺地〜大湊〜大畑間を旅客車および貨車を連結して延べ1,286,206kmを走り地球を約32回まわり続けたことになります。
長さ12.65m,幅2.94m,重量55トン,出力783馬力です。このC11型167号機の偉大な業績を顕彰し,併せて東北本線全通90周年を記念し国鉄から貸与されたものです。(昭和56年9月1日/青森市)
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